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大阪地方裁判所 平成6年(ワ)12861号 判決

原告

宮﨑尚美

被告

岡本圭司

ほか一名

主文

一  被告らは、原告に対し、連帯して、金二〇六万五六四四円及びこれに対する平成五年一〇月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その九を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは、原告に対し、連帯して、金一六四〇万三四三五円及びこれに対する平成五年一〇月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、交差点における普通貨物自動車と足踏み式自転車の衝突事故において、足踏み式自転車の運転者が、普通貨物自動車の運転者に対しては、民法七〇九条に基づき、同人の使用者、かつ、普通貨物自動車の保有者に対しては、民法七一五条及び自賠法三条に基づき、損害賠償を請求した事案である。

一  争いのない事実

交通事故の発生

(一)  日時 平成五年一〇月一二日午後四時一〇分ごろ

(二)  場所 大阪市西区南堀江四丁目一番一四号先交差点(以下「本件交差点」という。)

(三)  事故車両 被告岡本圭司(以下「被告岡本」という。)運転の普通貨物自動車(なにわ四四る一二五六、以下「被告車」という。)

(四)  事故態様 南北に延びる道路(以下「南北道路」という。)と東西に延びる道路(以下「東西道路」という。)とが交わる信号機により交通整理の行われている本件交差点において、原告が足踏み式自転車(以下「原告車」という。)を運転して本件交差点南詰横断歩道上を西から東に向かつて直進し、被告車が東西道路を西進し本件交差点を東から南に向かつて左折したところ、同横断歩道上で、被告車の左前部のバンパー付近と原告車後部荷台の幼児用座席付近とが当たつた。

二  争点

1  被告らの責任及び過失相殺

(一) 原告の主張

(1) 被告岡本の責任

被告岡本は、横断歩道の手前で一旦停止ないし徐行して、横断歩道上を通行する歩行者等の確認をする義務があるのに、これを怠り、一旦停止ないし徐行をせず横断歩道に進入し、本件事故を惹起したのであるから、民法七〇九条に基づき、本件事故による原告の損害を賠償する責任を負う。

(2) 被告株式会社山田商店(以下「被告山田商店」という。)の責任

被告山田商店は、被告車を保有していたのであるから、自賠法三条に基づき、本件事故による原告の損害を賠償する責任を負う。

被告山田商店は、被告岡本の使用者であるから、民法七一五条に基づき、本件事故による原告の損害を賠償する責任を負う。

(二) 被告らの主張

原告は、原告車に乗り、相当のスピードで横断歩道上を直進し、停止していた被告車に接触させたのであるから、本件事故は原告の一方的な過失によるものであり、被告岡本には何らの過失もない。また、被告車には構造上の欠陥も機能障害もなかつた。

よつて、被告らに責任はない。仮にあるとしても、大幅な過失相殺をするべきである。

2  本件事故と損害との因果関係及び寄与度減額

(一) 原告の主張

原告は、本件事故の際、転倒をさけようとして左足を地面に強くついたために、左股関節・腰部挫傷・腰部神経根損傷による左下肢麻痺等の傷害を負い、医療法人寿楽会大野記念病院整形外科(以下「大野病院」という。)に、本件事故当日の平成五年一〇月一二日から平成六年一月一七日まで入院、同月一八日から同年一〇月二五日まで通院して治療を受けたものの、自賠法施行規則別表後遺障害等級第一二級一二号(以下単に等級のみを示す。)の「局部に頑固な神経症状を残すもの」に相当する後遺障害が残存した。

よつて、被告らは、原告に対し、以下の損害を賠償する責任を負う。

〈1〉 治療費 六万二四四〇円

〈2〉 松葉杖代 五〇〇〇円

〈3〉 左膝装具代 一万九四四三円

〈4〉 入院付添看護費 四四万一〇〇〇円

一日あたり四五〇〇円として九八日分

〈5〉 入院雑費 一二万七四〇〇円

一日あたり一三〇〇円として九八日分

〈6〉 通院交通費 一七万八一二〇円

原告は、平成六年三月一五日、子供の喘息の療養のため、三重県の肩書地住所に引つ越したが、その後も大野病院へ通院を続け、同年一〇月二五日まで、一八日間通院した。その間の交通費は、電車代が一日往復六二六〇円、バス代が一日往復七〇〇円であるから、その一八日分と、全通院期間中のタクシー代合計五万二八四〇円を請求する。

〈7〉 逸失利益 九八七万〇〇三二円

原告は、本件事故当時、三一歳の主婦であり、平成四年度産業計・企業規模計・学歴計女子労働者賃金センサスの三〇歳から三四歳の平均年収三四七万七二〇〇円に相当する労働能力を有していたのに、本件事故により、六七歳に至るまでの三六年間、その労働能力を一四パーセント喪失した。よつて、ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して、逸失利益の本件事故時における現価を算定すると以下のとおりとなる。

347万7200円×0.14×20.275=987万0032円

〈8〉 入通院慰藉料 二〇〇万円

〈9〉 後遺障害慰藉料 二二〇万円

〈10〉 弁護士費用 一五〇万円

(二) 被告らの主張

原告は、本件事故後もそのまま原告車を運転して横断歩道を渡りきつており、転倒を避けるため左足を地面に強くついたことはなく、本件事故により負傷していない。

よつて、原告に主張するような症状が見られるとしても、それは、原告の既往症ないし心因的要素によるもので、本件事故とは因果関係はない。仮にあるとしても相当程度の寄与度減額をするべきである。

第三争点に対する判断

一  被告らの責任及び過失相殺

1  前記争いのない事実及び証拠(甲一三、一四、一六、一八の1、2、乙一の1、2、乙四、検甲一、原告本人、被告岡本本人、弁論の全趣旨)を総合すると、次のとおり認められる。

本件事故現場は、別紙図面のとおりであるが、南北道路と東西道路の交わる信号機により交通整理の行われている交差点であり、平坦で、アスフアルトによる舗装がされ、東西道路の最高速度が三〇キロメートルに制限され、南側道路は南行一方通行の規制がされていた。また、本件事故当時の天気はくもりで、原告車及び被告車双方からの道路の見通しはいずれもよかつた。

原告は、塾に通う子供を迎えに行くため、本件事故当日午後四時ごろ自宅を出発し、原告車で東西道路南側歩道を西から東に進行し、別紙図面〈ア〉地点(以下符号のみを示す。)まできたとき、本件交差点の南詰交差点の対面信号が青になつたので、同横断歩道を西から東に横断した。

一方、被告岡本は、東西道路を西進し本件交差点にさしかかつたが、対面信号が赤であつたので、信号待ちで停止した後、信号が青になつたので左折発信したところ、〈2〉で原告車を発見し、ブレーキを踏んだが間に合わず、〈3〉で被告車の左前部バンパー付近を、〈イ〉まで進行していた原告車の後部荷台の幼児用座席付近に衝突させた。

なお、被告らは、原告車は相当のスピードで横断歩道を渡つてきて、〈3〉で停止していた被告車に自分から接触してきたと主張し、被告岡本もその旨供述するが、これを否定する原告本人の供述やその衝突の部位等に照らして、被告岡本の右供述は信用できず、他に被告らの右主張を認めるに足りる証拠はないから、右主張は採用できない。

2  以上により、被告岡本には、原告車が横断歩道を渡つていたのであるから、横断歩道手前で停止すべきであるのに、停止せず漫然と横断歩道上に進行した過失が認められ、一方、原告には過失は認められない。

よつて、被告らには本件事故の発生につき全面的な責任があり、過失相殺は認められない。

二  本件事故と損害との因果関係及び寄与度減額

1  前記争いのない事実、前記一で認定した事実、証拠(甲五ないし九、一二、一三、甲一七、一八の1、2、乙二ないし五、原告本人、弁論の全趣旨)及び当裁判所に顕著な事実を総合すると、次のとおり認められる。

(一) 本件事故前の原告の状況

原告は、昭和三七年六月一九日生まれ(本件事故当時三一歳)の女子で、本件事故当時は主婦として両親と子供二人と五人で同居し生活していた。

原告は、平成三年三月下旬頃、歩行中に左膝関節上部外側部が痛むため、同年四月一日、天野病院で受診し、その後同病院の紹介により大野病院で受診するようになり、同年四月五日、左大腿四頭筋筋挫傷との診断を受け、同年五月一五日には、腰痛で受診し、同年六月三日には、MRI検査の結果、第五腰椎・仙椎間に椎間板ヘルニアの疑いがあるとされた。

その後、原告は、平成五年九月二一日、腰痛が悪化したため、再び大野病院で受診し、急性腰痛症と診断されたが、同年一〇月一一日の子供の幼稚園の運動会には元気に参加するなどしていた。

(二) 本件事故直後の原告の状況

原告は、本件事故発生直後、衝突のため原告車がぐらつき、そのまま走行することが困難になつたため、〈イ〉と〈ウ〉の中間の地点の歩道上(斜面になつている。)に達したとき、進行方向左側に左足を伸ばして地面に強くついたが、〈ウ〉付近まで達して止まつた。そのとき、原告は、左股関節付近に痛みを感じ、次第に左足全体にしびれを感じ出し、足を引きずりながら何とか歩くという状態になつてしまつたので、救急車を呼び、担架で救急車に乗つて、大野病院に搬送された。

(三) 原告の症状の経過

原告は、同日午後六時四五分に大野病院に搬送され、同日入院となつたが、初診時の診断では、左股関節痛と左大腿以下のしびれがみられ、同日午後八時ころになると、左下肢の知覚が鈍麻しほとんど消失してしまつた。このとき、膝蓋鍵反射及びアキレス腱反射は、左右とも弱く、徒手筋力検査(関節の筋力の測定を行う検査で、被検者が自動で関節を動かし、検者が自分の手で抵抗を加えてどのくらいの力が入つているか判定し、五から〇までの六段階に評価するもの)で下肢の筋力を測定したところ、右下肢は五(強い抵抗を加えてもなおそれと重力に打ち勝つて正常可動域一杯に動く状態で正常)で、左下肢の筋力は〇(筋の収縮も全く認められない状態で六段階中最低)であつた。なお、レントゲン撮影では、特に外傷に当たるものはなかつた。

そこで、同病院の担当医は、左股関節・腰部挫傷、左下肢神経損傷による知覚運動麻痺により約一か月間の入院・通院加療を要すると診断したが、カルテには、左下肢麻痺の原因は不明だが、腕神経叢損傷(腕神経叢に強い牽引力が加わつて生じる神経叢の損傷で、運動と知覚の麻痺をもたらすもの)のようなものかヒステリーではないかという旨の記載をしている。

翌一三日には、左下肢の知覚鈍麻が知覚過敏に変わり、左下肢は自動ではほとんど動かない状態で、MRI検査を施行したところ、第五腰椎・第一仙椎間椎間板の正中への突出が認められた。

翌一四日には、原告は、左股から足先までピリピリと電気が走る症状を訴え、左下肢の筋力はすべて〇の様と診断されている。

翌一五日には、原告は左下肢のしびれがひどくなり、布団が触れても左下肢全体が強く痛むと泣きながら訴えている。

しかし、同月一八日には、原告は、左下肢の筋力が三(抵抗を加えなければ重力に打ち勝つて正常可動域いつぱいに動く状態)ないし四(いくらか抵抗を加えてもなお重力に打ち勝つて正常可動域いつぱいに動く状態)程度にまで回復し、病院内の売店まで松葉杖なしで歩けるようになつた。

ところが、翌一九日午後四時ころ、原告は、病院から父親に電話し、泣きながら、入院が長くなり子供のことが心配、事故の件が裁判になるなどと話したため、父親は心配になり、原告の病室を訪れたところ、原告は、左手首を切つており、その部分にタオルを当てていた。父親のナースコールにより、同日午後六時三五分ごろ、看護婦が病室を訪れると、原告は左手首にタオルを当てたままで閉眼しており、タオルを除去すると、出血はなく、傷の長さは三センチメートルほどであつた。

同日午後七時五〇分ごろ、看護婦が再び原告の病室を訪れると、眼が赤く泣いた後のようであり、すみませんといつて頭を下げていたが、精神的には落ち着いてきた様子で、雑誌をめくる動作などが見られた。

このとき、担当医は、カルテに、「やはりヒステリーの要素はあるが、それだけでは説明できない。腱反射の左右差も明かでない。右も弱い。」と記載している。

原告は、翌二〇日の午前四時ごろになり入眠したが、朝になつても、活気のない様子で、頭重感、左膝及び足関節の痛み、左第一足趾のしびれ感を訴え、同日夜も不眠を訴えるので、睡眠薬のハルシオンを投与された。以降原告は入院中毎晩のように不眠を訴え、そのたびにハルシオンを投与されている。

同月二二日から、理学療法(ホツトパツク)が開始されたが、このときの理学療法士の医師に対する報告によると、左下肢の筋力は、三ないし四程度であり、左下肢全体にしびれ感があり、末梢に行くほどしびれが強く、足部はじんじんと痛み、歩行はひきずり歩行であつて、今後は歩行訓練をするしかないということであつた。

同月二六日から松葉杖を使つた歩行訓練が開始されたが、相変わらず、左下肢の痛み、しびれ等は続き、そのたびに坑炎症例のボルタレン座薬等が投与された。

同年一一月八日には、ミエログライー(脊髄造影、くも膜腔に造影剤を注入し、X線撮影、CT検査などを行い、脊柱管内の病態を形態学的に把握する検査法)が施行されたが、異常は認められなかつた。

その後も、原告は、左下肢のしびれ、痛み等の症状を訴え続けるので、同月二二日、同月三〇日、同年一二月七日、同月一四日の四回にわたり硬膜外ブロツク(硬膜外麻酔)を施行したが、症状に著名な改善はみられなかつた。

そして、原告は、同年一一月一日、同月四日、同月一五日、同月二八日、平成六年一月一日ないし三日の試験外泊を経て、同年一七日、退院したが、このとき、担当医は、左下肢麻痺、左股・腰部挫傷、左大腿・膝・足底部外傷後関節炎と診断し、退院時サマリーでは、左下肢麻痺の原因はよくわからない、今後は、硬膜外ブロツク等の治療をし、歩行訓練もしつかりしてもらうなどの趣旨の記載がされている。

その後、同月一八日から、原告は、同病院に通院することになるが、依然左下肢のしびれ、痛みが続き、硬膜外ブロツク、ボルタレン座薬の投与、理学療法等の治療を繰返したものの、症状に著名な改善は見られないまま、同年一〇月二五日(退院後同日までの実通院日数は約五〇日間)には、治療を打ち切ることにし、担当医より、同日付けの後遺障害診断書が作成された。それによると、自覚症状として、左足全体がピリピリする、知覚低下軽度、痛みを伴う、左膝・足関節いずれもガクガクする、歩くと痛い、正座・和式トイレ不可と記載され、他覚症状等の記載欄に、レントゲン検査では異常はない、神経学的に腱反射などの異常はないが、受傷後からの左股から下肢に至るしびれを強く訴え、同時に足・膝・股の三つの関節に関節炎の痛みを訴えている、又、左下肢の筋力低下は四プラスから四であり、軽度の麻痺が遺残しているかもしれない、あるいは廃用性かもしれない等と記載され、これらの症状は、平成六年一〇月に症状固定し、今後改善する見込みは乏しいとされている。

その後も、原告は、同病院に通院し、理学療法等の治療を継続しているが、症状は改善していない。

2  因果関係及び寄与度減額

以上の事実を総合すれば、原告は、本件事故前から、第五腰椎・第一仙椎間のヘルニアの既往症を有していたところに、本件事故により、左足を地面に強くつき、腰部の神経根が圧迫されたため、左下肢のしびれ、痛み、知覚障害、筋力低下等の各症状(以下、「各症状」という。)を生じ、それが原告の心因的要素により悪化した蓋然性が多分にあると認められる。

この点につき、被告らは、原告は、本件事故により負傷していないのだから、各症状と本件事故とは無関係である旨主張する。しかし、前記認定のとおり、原告が本件事故直後に左足を地面に強くついたことが認められること、原告は、本件事故直後から、一貫して各症状を訴えていること、本件事故前は、腰痛の症状はみられたものの、子供の運動会に元気に参加するなどしていることから、各症状は、本件事故後に発現したと推認できること等の各事実を総合すれば、各症状は少なくとも本件事故を契機に発現した蓋然性が多分にあると認められるのであつて、各症状と本件事故とは因果関係がある。

しかし、一方、原告が本件事故により受けた受傷の内容は、単に左足を地面に強くついたというだけのものであり、受傷の程度は比較的軽いものであつたこと、原告は、本件事故前の平成三年六月三日にはMRI検査の結果、第五腰椎・仙椎間の椎間板ヘルニアが疑われ、平成五年九月二一日には腰痛が悪化していたことや、本件事故後の同年一〇月一三日のMRI検査で第五腰椎・第一仙椎間椎間板の正中への突出が認められていることから、原告は、本件事故時には、椎間板ヘルニアに罹患していたと推認できること、椎間板ヘルニアにより神経根の圧迫が生じた場合、下肢のしびれ、痛み、知覚障害、筋力低下が生じることは一般に認められていること等から、原告の腰痛症の既往症が各症状に寄与した蓋然性が多分にあることが認められる。

ただ、神経根の圧迫のみで左下肢全体の知覚及び運動の麻痺が生じるとも考えがたく、他に症状悪化の原因があると推認されるところ、前記認定の原告の症状経過等からうかがわれる原告の精神的要素からみて、原告の心因的要素が原告の症状を悪化させた面は否定しがたく、他に原告の病態に合致する症状悪化の原因は見あたらないことから、原告の心因的要素が各症状の悪化に寄与した蓋然性が多分にあることも認められる。

以上により、各症状と本件事故との因果関係は認められるが、原告の既往症、心因的要素もそれに相当程度寄与している蓋然性が多分にあると認められるので、公平の見地に照らし、寄与度減額をするべきであるが、その割合については、前記認定の各事実等を考慮のうえ、五割を減額するのが相当である。

3  後遺障害の程度、病状固定時期及び存続期間

前掲甲八号証(平成六年一〇月二五日付け後遺障害診断書)によれば、原告は、後遺障害として、左足全体のピリピリ感、軽度の知覚低下、痛み、左膝・足関節がいずれもガクガクし、歩くと痛むといつた自覚症状を有すると認められるものの、他覚的所見については、レントゲン検査や腱反射に異常はなく、左下肢に筋力低下が認められるが、その程度は四プラスから四と軽度であるうえ、前記認定の症状発生の機序からすれば、それは中枢神経系の障害に起因するとは認められないのであるから、原告の右症状は、原告主張の一二級一二号の「局部に頑固な神経症状を有するもの」に該当するとは認められず、一四級一〇号の「局部に神経症状を有するもの」に該当すると認められる。

そして、原告は、平成六年一〇月二五日までに大野病院に通院し、同病院の治療が同日で打ち切られ、症状固定時期を平成六年一〇月とする後遺障害診断書(前掲甲八号証)が作成されたこと等に照らし、原告の後遺障害は、平成六年一〇月二五日に症状固定したものと認められるが、原告の後遺障害は自覚症状を中心とする神経症状であることや前記のとおり心因的要素が寄与している蓋然性が多分にあること等から、原告の右後遺障害は、右症状固定時から五年間に限り存続すると認めるのが相当である。

三  損害額

1  治療費 六万二四四〇円

証拠(甲一二)によれば、原告は、本件事故時から症状固定に至るまでの間に、治療費として右額を要したことが認められる。

2  入院雑費 一二万七四〇〇円

前記認定事実によれば、原告は本件事故後九八日間大野病院に入院していたことが認められ、入院雑費は一日につき一三〇〇円が相当であるから、右額を認める。

3  付添看護費 否定

本件全証拠によるも、原告が入院中、付添看護を要したことは認められない。

4  交通費 一五万八二八〇円

証拠(甲一三、一五、乙三、弁論の全趣旨)によれば、原告は、平成六年三月一五日に三重県の肩書地住所に引つ越し、それ以降症状固定に至るまで、一八日間、(症状固定日を除く)大野病院に通院し、その間の電車代及びバス代は、原告主張のとおりであると認められ、また、原告の前記症状に照らせば、タクシー通院の必要性はあつたと認められるが、証拠(甲一五)上、原告がタクシーを利用した日は、全通院期間中二九日間のみであり、そのうち二六日間は往復利用し、三日間は片道利用していると認められるから、五五回分タクシーを利用していると認め、タクシー代は、一回分六〇〇円であると認めるので、その五五回分を認める。すると、以下のとおりとなる。

(6260円×18)+(700円×18)+(600円×55)=15万8280円

5  松葉杖代 五〇〇〇円

証拠(甲一〇の1、2、弁論の全趣旨)によれば、原告は大野病院を退院する際、保証金五〇〇〇円で松葉杖を借り出し、その後三か月間使用したことにより、右五〇〇〇円の返還を受けられなくなつたと認められるので、右額を損害と認める。

6  左膝装具代 一万九四四三円

証拠(甲一一の1、2)によれば、原告は、本件事故による傷害のため、左膝装具を要し、その費用は一万九四四三円と認められるから、同額を損害と認める。

7  逸失利益 七五万八七二五円

前記認定事実によれば、原告は本件事故当時三一歳の主婦であり、原告主張のとおり平成四年度産業計・企業規模計・学歴計女子労働者賃金センサスの三〇歳から三四歳の平均年収三四七万七二〇〇円に相当する労働能力を有していたところ、本件事故により、前記のとおり、一四級に相当する後遺障害を負い、五年間にわたり、五パーセントの労働能力を喪失したと認められるから、ホフマン方式により中間利息を控除し本件事故時における原告の逸失利益の現価を算定すると、次のとおりとなる。

347万7200円×0.05×4.364=75万8725円(円未満切捨)

8  入通院慰藉料 一八〇万円

前記認定事実によれば、原告は、本件事故により、症状固定に至るまで、約三か月間の入院と九か月間の通院を要し通院実日数は約五〇日間と認められること等から、入通院慰藉料は、右額が相当である。

9  後遺障害慰藉料 八〇万円

前記原告の後遺障害の程度等一切の事情を考慮すれば、右額が相当である。

10  寄与度減額

以上を合計すると、三七三万一二八八円となるが、前記のとおり、寄与度減額により、五割を減額するのが相当であるから、右額から五割を減額すると、一八六万五六四四円となる。

11  弁護士費用 二〇万円

本件事案の内容及び認容額等に照らし、右額が相当である。

四  結語

以上により、原告の請求は、二〇六万五六四四円及びこれに対する不法行為の日である平成五年一〇月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由がある。

(裁判官 松本信弘 石原寿記 宇井竜夫)

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